加藤 ツアー・オブ・ジャパン

チームユーラシアiRCタイヤの橋川監督にお声がけいただき、TOJに参戦する機会をいただいた。


ステージ1 信州飯田

途中2キロ強の登りを含む12.2キロの周回を9周する120キロのレース。

最初の3周がペースがきついのではないかという選手の声がちらほら聞こえていたので気合を入れて出走した。 

ローリング解除後から割と速いペースで進んだ。登りで補給するのは困難と考え、緩めの下りセクションでしっかり食べた。 

2周目登りでペースが上がるも、自分にとってすごくしんどいわけではなく、集団内で位置を下げないようにしながら先頭が見える範囲で登り終え下りに入る。下りセクションはドラフティングがきいて後ろでは休めた。 

その後じわりじわりと登りがきつくなっていくが、下りで休めるのでしっかり集団完走を目標に走ろうと考えながらこなした。

しかし5周目の下りで微妙に前と離れてしまい、そのギャップを埋めるのに下りでかなり踏んでしまった。その瞬間はそこまできつくはなかったが、この無駄足が後々響いてしまったかもしれない。 

そして7周目、登り終えるあたりで自分の前で中切れが起きた。もちろんきつかったがオールアウト寸前というほどではなかったため、前に上がろうか一瞬迷ったが、中切れした集団内にマンセボや入部さんがいたため、ここについていれば大丈夫だろうと思いとどまった。

自分らの前にチームカーの車列が入り、マンセボや入部さんたちがその車列を使ってペースを上げた。

自分はそれに一瞬乗り遅れギャップを作ってしまい、その差が致命的となり1人で千切れてしまった。 

下りをかなり攻めて、その後のストレートで集団の姿を捉えたが、内ももに攣る前兆があり攣ったら完走できないので、いったん緩めストレッチや水分補給をした。 

補給食は20~30分おきに食べていたが、水分補給が足りていなかったかもしれない。

その後はしばらくひとり旅だったが、チームカーの橋川さんから後ろと合流したほうがいいと指示をもらい、ゆったり脚を回しながら後ろを待った。 

その後は3.5~4倍程度でローテを回し完走することができた。 

集団完走ができなかったことがかなり悔しかったが、「大丈夫な中切れ」、「まずい中切れ」をしっかり目で見て体験できたのは今後プラスにしていきたい。




ステージ2 富士山
ホテルでマッサージを受けたことや、早寝したおかげもあり、かなり脚が軽くなっていた。初日のスタート前よりも調子はよかった。

スタート後は周回コースを4周し、その後富士あざみラインへ向かう。

周回コースではなるべく脚を使わないことに全集中して走った。 

4周目後半にはチームメイトの色川が集団前方へ引き上げてくれ、いい位置であざみラインへ向かえた。

あざみがはじまる前から集団ペースはあがり、360w~400w出ていた。目標はあざみラインでできる限りのパフォーマンスを発揮することだったため、ここは出しすぎないように意識し、千切れるタイミングを考えながらついていった。

高架下までは集団についていって、そこからマイペースに切り換えた。

周回コースはきつくないペースだったが、それでもじんわりと脚にきていたのか、思ったようなパワーが出せずもどかしかった。しかしとりあえず全力を出すことに集中し前の選手をひとりひとりパスしながら登っていった。 

最後の数キロはかなり垂れてしまったが、この日の出せる力は出し切れたと思う。 




ステージ3 相模原

前日にメカニックの成田さんにギアとチェーンを富士山用のワイドレシオから普段のものに交換していただいた。

いくどとなく走ってきた自分の地元でのレース。普段の練習仲間をはじめ、多くの友人や知人が応援に来てくれる中で、なんとしてもいいところを見せたいという気持ちが強かった。 

ローリングでしっかりと前に位置取り、アクチュアルスタートは先頭二列目でむかえた。 

飛び出しがあり、自分も3〜4回目の飛び出しに反応してアタックしてみた。ここはすぐに吸収されたが、ぬるっと後ろを引き連れる形にはならなかったのはよかった。 

そのまま周回コースに入った。きつかったが落ち着いて集団内で楽な位置を考えながら走った。 

ふれあいの館〜オギノパンまでのセクションはコースを知り尽くしていることもあり、コーナーで周りより減速せず車列の外から楽に位置を上げることができた。 

1周目の最後のトンネルで小村さんと自分含め4人で先行するも、すぐに集団に吸収された。ここも集団からの抜け出し方は、少し先行していた数名が吸収されるタイミングでのカウンターに乗る形で、悪くはなかった。 

その後も集団にただ付いていくのではなく、なるべく脚を休めつつ周りも見ながら走ることを意識した。周りが減速する下りセクションで無理なく前に上がり、登りセクションでは少し位置を下げながら脚を休めることができた。 

3周目に逃げができ集団と1.5分差ほど。5周目に入る直前の登りでナショナルが固まって追走開始。その後マンセボがひとりで更に追走。

日大の谷選手が追走したそうにしているのを見て自分も番手を上げ、タイミング合わせて飛び出す。 

日大とローテを回してマンセボに追いつき、後ろからきた数名と回してナショナルに追いつき追走グループが形成された。 

均等にローテが周り逃げとのタイム差はすぐに縮まりはじめ、6周目の後半で追いついた。 

この逃げ集団は人数が多いこともあり、ここからさらに絞り込みが行われると考え心の準備をした。 

案の定ファイナルラップには激しいアタックが繰り返された。なるべく後手に回らないよう気をつけつつ、周りは自分より強い人ばかりなのでなるべく最小限の力で走ることを意識した。

途中何度か千切れそうになったが意地で食らいつき最後までついていけた。

最後の坂は踏み切れなかったが、ラスト全力を振り絞ることはできた。 





ステージ4 東京

ど平坦東京ステージ。 
チームとしての目標は逃げに乗ること、乗りそこねたら集団牽引に加わること。

序盤からチームメイトも自分も積極的に動いた。中盤でこの日の逃げとなる飛び出しがあり、入部さん新城さんの追走、その後から自分も飛び出した。 

いい勢いで飛び出せたが、向かい風区間で失速し入部・新城グループに追いつくことができなかった。絶対パワーの不足を痛感した。 

後ろからナショナルの山田君が追いついてきて後ろに付いたが、脚がいっぱいいっぱいで千切れてしまった。この時決定的な逃げを逃してしまったというのがすぐわかった。 

メイン集団に合流してからはしばらく脚を休め、その後チームメイト小村さんが前に上がり集団牽引に参加していたため、自分も前に出て参加しようと思い位置を上げた。 

しかし小村さんの後ろまで上がったときに愛三工業の選手に押しのけられ怒られてしまった。自分はプロレースの経験もなく何がまずかったのかはわからなかったが、結局ローテに入ることを確認され入れてもらえた。 

学生レースとかと違いチームの隊列などもあるため、その中で動くときはしっかり口で意思表示する必要があるのかもしれない。

「レースは舐められたら終わり」という橋川監督の言葉を思い出しつつ、集団牽引に参加してからは存在感を見せるため、長めにしっかりとペースを維持しながら引いた。 

配信でユーラシアや自分の名前がちょくちょく呼ばれていたときき、ここでの苦しさが少しでも実を結んだのが嬉しかった。 

最終周は色川の近くを走り、チームとしていい動きをしたいと考えて走った。しかし、最後から2番目のコーナーで発生した落車を回避できず巻き込まれてしまった。

幸い機材も体も無事で数秒で走り始められた。

この落車は絞り込まれた集団の中程で起きていたため、その前のストレートでもっと踏んで更に前に出ておくべきだった。

その落車が起きたコーナーの先のストレートで位置を上げようと考えていたが、集団が大きい場合もっと前から位置上げをすべきだった。 

色川を引き上げると頭の中で考えてはいたものの、この段階でその動きはできておらず、もっと早い段階で限界近くまでは出力を上げ前の方に上がれていればよかった。

うまくはいかなかったが、普段のレースではこのようなことを考えることすらないため、貴重な経験となった。 





この4日間の貴重な経験は滅多に体験できるものではないため、レース中に感じたことや毎日のミーティングでのアドバイスなどを無駄にせず、今後に活かしていきたい。 



最後に、橋川監督をはじめ、チームユーラシアiRCタイヤの皆様、このような貴重な機会をくださり、レース期間中も手厚いサポートをしてくださり、本当にありがとうございます。


そして、毎日様々な方から会場やSNSで熱い応援をいただいたおかげでこのレースを耐え抜くことができました。ありがとうございます。