列島横断

こんちは。54期歯茎です。

内容は3月の頭なのに、書き終えるころにはとうとう1Qが始まってしまいました。

4年生はもう授業なくない、とかいうツッコミは禁止。

 

日本列島を横断することにした。理由は、日本海を見たことがなかったから。少なくとも記憶になかったから。

自宅が太平洋沿岸というわけではないので正確には横断じゃないけど、まあ気にしない。誤差でしょ。

 

というわけでたてた計画がこちら。

3/1(水) 朝、東京発。17号を通って高崎まで行く。高崎の快活クラブで一泊。

3/2(木) 高崎発。18号を通って長野市内へ。292号と117号で戸狩野沢温泉へ。ちょっと折り返して18号で上越市内へ。直江津港到達。日本海を見てニヤニヤし、直江津市の快活クラブで一泊。

3/3(金) ひな祭り。直江津発。青春18きっぷで輪行。帰宅。

一応ave20kphくらいで余裕を持つとこんな感じ。遅くない?って思うけど、荷物あるから。

 

 

この記事「列島横断」は、執筆者が編集しすぎて大変重くなっています。
表示されるまで少し時間がかかりますが、ZWIFTでもやりながら気長にお待ち下さい。

 

 

Q:なんで水曜出発なの?

A:いま月火がバイトだから。金夜は快活は高くなるから。

 

Q:なんで帰りは電車なの?

A:青春18きっぷを使ってみたかったから。

 

Q:こういうのはレーサー班じゃなくツーリング班がやることでしょ?

A:こまけぇこたぁいいんだよ!!

 

Q:なんでネカフェなの?

A:チェックインが何時でもいいから。限界旅行だから。

 

そう、限界旅行。だから今回は現地で美味しいものも食べないし、お土産も買いません。

(結果的に誘惑に負け、お土産は買います)

 

 

さて、泊まりとなると荷物がいるのでパッキング。サイドバッグとか持っていないので、フツーのリュックに詰める。輪行用の普段着に薄い長ズボン、薄いロンT2枚。帰宅時普段着として着られるし、ネカフェでパジャマがわりにもなるし、寒ければインナーに重ねられる。とにかく軽量化のために余計なものは入れたくないので。

ベルトも持っていかない。一番薄い長ズボンはちょっときつめなのでベルトいらんやろ理論。

替えの靴下(自転車用と普段用)、タオル(薄手の一枚)、手拭い(何にでも使えるし小さい)、念の為ネックウォーマーとインナー手袋。靴。靴は大学生がよく履いてる、ペラッペラのスニーカー。手持ちで一番小さくて軽かったから。靴なんて置いてけよって感じだけど、帰りの電車で普段着で靴だけビンディングは変態なので。

充電ケーブル類、ipodがわりの古いiPhone二台、モバイルバッテリー、財布、念の為シャンプーと石鹸。

念の為が多くないかという話だが、元々旅下手で荷物の多い私にとってはかなり少ないのだ。

普段使いのツール缶が500gあるような人だからね。

暖かい日が続いているので夏用の服+長袖インナー+ウィンドブレーカー+レッグウォーマーで行こうか迷ったが結局冬装備にした。今考えると舐めてるにも程がある。

邪魔になったら外せばいいということで冬用手袋とシューズカバーも装備。いるかわからんけどクリートカバーも持っていく。

super sixにつけているパワメ+105クランクセットをcaad8に移設した。

 

3/1(水)

 

7時か8時、遅くても9時出発の予定だった。

起きたら12時半だった。

とりあえず朝ごはんを食べ、カロリー取らねばということでスパゲッティーを200g食べた。そしたらパスタソースがカルボナーラしかなかった。大量に食べるときにはトマトソースに限る。

午後3時、出発。自宅にあったありったけの補給食を持って。もともと家にあったものは旅費にノーカン。カロリーメイト3袋と羊羹4個、スポーツ羊羹3個。ポカリは濃い目に1L分の粉で600mlを作っておいた。

 

家を出てすぐ、新しく買ったキャリアのボルトが、変速の時に若干チェーンに干渉することを思い出した。が、ほんの一瞬だし8→9段目だけなのでまあ無視。

付属のゴムシートがちゃちかったので補強しようかなと思っていたのを忘れていたが、まあ大丈夫だろうということで無視。後々後悔する。

本当は前日キャリア取り付け後に試走がてらバイトに行くはずが、取り付けに意外と手間取ってしまい、遅刻しそうになって電車で行ったため試走できなかったのだった。

 

15:40ごろ、アクシデント発生。東武の線路をくぐる際、傾斜がきついガード下の坂道でリュックが後ろにずり落ちる。車が多いところじゃなくて良かった。

リュックの重心が下に偏っていたためキャリアに乗せると後荷重になるのだ。さらにサイドバッグより縦長なリュックはキャリアからはみ出し、ずり落ちたというわけだ。

仕方なくリュックの前後を入れ替え、ゴム紐3本のうち一本でリュックのケツを支えることで対処。また、余っていて邪魔だった肩紐をキャリアに結びつけて、落ちにくくした。

 

16時過ぎ。彩湖をすぎてすぐ、謎の右折により太平洋を目指し始める。数キロ行ったところで気づいてよくわからん生活道路で軌道修正。北浦和の駅前あたりで17号に復帰。先が思いやられる。

17号はどうやら2本あるらしく、左側を走る予定だったが右側になってしまった。結果あまり関係なかったが。

 

その後はひったすら走ってったらなんか高崎に着いた。途中本庄早稲田のあたりで小山川とかいうちっさい川を渡る時に少し迷ったが、他はそんなに大きく道を間違えることもなく。

乗ってる時は前はだけて手袋なしでも少し暑いかな程度だった。汗ばむほどではなかったが。

たまごっちの500kcalアラートが鳴るたびに補給食を食べ、補給食を食べるごとにポカリ一口を心がけた。本当はもっと飲んだ方がいいのかもしれないが、冬の練習では一日中一口も水飲まなかったり(←絶対おかしい)する私にとっては意識してかなりたくさん飲んだほう。案の定トイレに行きたくなったので、極限まで我慢したのち2回コンビニでトイレに行った。ついでに食料調達。クリームパンとLチキで計339円。

ついでにリュックの向きを変えた。で、肩紐のベルトのバックルをシートポストに固定した。少なくとも後ろに落っこちることは無くなった。

 

19時だったか20時だったか。高崎市街到着。この辺になるともう真っ暗なので、自分の走っている道の横が田んぼなのか歩道なのか河原なのか川なのか全くわからない。田舎だなと思った。

市街といっても駅からは少し外れているので、とても賑やかというわけではない。

ここで一泊、の予定だったがまだ110km。精神的な疲労感は意外と80kmくらい、足の疲労は150kmくらい。荷物あるからね。

もし余裕があったら一日目のうちに長野に入ってしまおうと考えていたので高崎を素通り。

これには訳があって、高崎に泊まると二日目の方が距離が長い、というのがひとつ。

もうひとつ、木曜の長野は雨で、身動きできなくなる可能性があった。じゃあ高崎で止まっても一緒じゃねって感じだけど、濡れた路面を走るのは短い方がいい。

 

碓氷川が島川に合流するあたりで渡り、18号へ。

余談だが17号は路面がかなりよく、とても走りやすかった。路肩も広いし車も少ないし(時間帯のせいかもしれないが。でも逆方面も車あんまりいなかった)、信号がめちゃくちゃ少ない。そして自転車通行可のオーバーパスがとても多い。自転車が通ることを想定しているのかは知らないが、通行禁止の標識はないし、通っていても道が広いから全然怖くない。余裕を持って車から離れて走行できて端っこでも路面が荒れてないのでマジでおすすめ。自分が渡るのに手間取った小山側も、うっかり下界に行ってしまっただけで、標識はなかったのでオーバーパスで通過できたはず。

対して18号はゴミ。17号を大谷翔平とするなら、18号は渋谷の酔っ払いが撒き散らしたゲロ。

狭い暗いそして路面が悪い。段差もだが縦方向のひび割れやガス橋みたいな轍が多くて危ないったらありゃしない。夜中だったので車は少なかったが、ど田舎のくせにありえないくらい信号が多い。まあ群馬県内はまだ可愛いもんで、長野に入ったらもっとひどくなるのだが。

 

関東平野の末端

関東平野の末端と思ってとった写真だが、ここから2,3分はまだ平野が見えた。赤いのは後ろの街灯が赤いせい。横川駅のちょっと手前。

コンビニを通り過ぎた直後、カロリーアラートがなったので次のコンビニで補給か、ご飯屋さんがあれば寄ることにした。トイレにも行きたい。

横川は電車でしか来たことがなかったので、ああこれがあたまもじDに出てきたおぎのやの看板かあとか思いながら碓氷峠に突入。普段なら並走する電車なんかが見えるところだが、23時過ぎとあってもう電車はない。

ここまでで160km弱。体感は190。そして峠に差し掛かった途端地獄。さすがに難所というだけあってきつい。とはいっても都民の終盤やヤビツのほうがキツく感じたが。多分幹線道路として整備されているだけあって斜度が抑えられているのだろう。実際夜中だというのにダンプカーが結構な頻度で行き交っていた。

そんでもって、疲労に加えて、斜度が上がった途端に後ろの荷物が牙を剥いてきた。重心が後ろにあると引っ張られるように進みが遅くなるうえ、キツくてもダンシングができない。インナーローでフラフラしつつ、何度か立ち止まった。ていうかトイレにも行きたい。よく考えたら峠だけはリュックを自分で背負えば良かった。

 

3/2(木)

 

峠の中程でとうとう小休憩。路側帯が広いのでその辺に止まって休んだが、今考えれば左カーブだったので車の運ちゃんはびっくりしたかもしれない。危ないからせめて右カーブにしておけば良かった。

どうやらカロリーアラートがなる直前に通り過ぎたコンビニは最後の一件だったようで、店の一件どころか自販機すらない。手持ちの補給食はカロリーメイトひとつ、羊羹二つ、スポーツ羊羹2つ。ひとつしかないカロメをもしゃもしゃしつつ。トイレ行きたいがコンビニなんてないしどうしようもないのでその辺の排水溝でおしっこ。碓氷峠は中央分水嶺なので、あのおしっこはもう太平洋に到達した頃だろう。

1分に一回3台ほどまとめて車が通る。トラックが多め。それが両方向なので、道端で用を足すのに割と苦労した。

フラフラしながらもえっちらおっちら峠を登り、

字の彫りが浅くて、読めな〜い

01:16、碓氷峠制覇。きつかったんだけど、都民とかみたいな苦しさはなかった。いや苦しかったんだけど。ゆっくりだったからかしら。意外と2時間近くも登っていた。

あとはくだって軽井沢。重心がいつもより高いのと、不安定な荷物があるのでコーナーは優しめに。駅前に親戚が住んでいるので、声をかけるまで行かなくとも(夜中だし15年近く会ってないし)ちょっと店構えを見ていこうかな、と思っていたがこの頃になると疲れと寒さから早くゴールを目指したい気持ちでいっぱい。そう、寒い。おまけに3時半ごろから雨予報で、目指す上田市の快活クラブまで時間との勝負。もっと近場のネカフェを探したいところだが、高崎を過ぎると上田までネカフェがないのだ。

焦ってきてペースを上げ、しかしゴミの18号、やたらと信号で捕まる。しかも別荘地軽井沢のハズレだけあって、店もほとんどなく、やっとこさ空いてるセブンを見つけたのは2時過ぎ。ペヤング184円でカロリー補給。が、体はあったまらない。

深夜3時、とうとう骨伝導イヤホンの電池が切れた。イヤホンってそんなに大事?って思うけど、1人で12時間も無心で走るのは無理。たぶん集中力が切れて失速するか、途中で事故る。

ipod代わりのiphone5sは、機内モードでwifi offにしたらまだ半分近く電池が残っていた。脅威。なので、民家もろくにないし携帯から直接音楽を聴くことにした。近隣住民の迷惑とかない。だって住民がいないし。とにかく雨との勝負、一刻をあらそう事態だからなんとしても速度を上げたい。しかし疲労のピーク。なので音楽とかそういうのはとても大事。

3:30過ぎ、上田市街に入ると同時に雨がぽつぽつ。

ゴールの手前1kmくらいになってやっと店が現れ始めたが、もうお前らに用はない。無能め。

3:41、本降りになる直前に上田市の快活クラブに滑り込んだ。本降りといっても1mmだけど。

駐輪場には屋根がなかったので、しぶしぶ適当に輪行袋に突っ込んで鍵なしの個室へ。電車に乗る訳じゃないから、入れ方は適当。

はじめてネカフェを使ったが、鍵なしでも思ったよりブースが広くて快適だった。足も伸ばせるし、床もクッションで柔らかい。隣のおじさんのいびきはうるさかった。まあ私はどんなにうるさくてもどんなに硬い床でも寒くさえなければ寝られるので問題なし。ブランケットがあったので寒くはない。上田市にはもうひとつ店舗があってそっちの方が安いのだが、こちらを選んだ理由は食パン食べ放題の店舗だったから。普段から食パンで食パンを挟む食パンサンドイッチとかをやっている自分は、おかずがなくてもなんら困らない。ちなみにマーガリンがついてたので優しい。塗りにくかったけど。いくらでも食えるわ。

あと、これは結構ほとんどの店舗がそうだが、ソフトクリーム食べ放題なのでこっちでもカロリー取れる。ドリンクバーもあるから野菜ジュースでビタミンも摂取。べつに出入りも自由なので、近くのコンビニに買い物に行くことだってできる。行かなかったけど。

ただし、どっかの店舗を見た時に「食パンは6時から10時です」って書いてあってここには書いてなかったので、一日中提供しているもんだと思っていた。しかし実際はどこも6時10時だったようなので誤算。

あと、洗濯機がない店舗だったのも誤算。調べた時に見逃していた。一日来た服をここで洗濯しようと思っていたので。まあ汗かいてないし、レーパンは履き回すことにした。こんなこともあろうかと今回はパンツを履いてきていたのだった。インナーは替えがあるから着替えた。

逆に嬉しい誤算として、特に気にかけていなかったがシャワールームのタオルが使い放題だった。自分のタオルを濡らさなくて済むし、何回でも気兼ねなく風呂に入れる。

風呂入ったりなんだりしていたら6時になってしまったので食パン4ソフトクリーム2を摂取。残りは昼に起きて食べるつもりで就寝(前述の通り、昼と夜に食パンが存在しないことに後で気づく)。

 

 

 

12時起床、遅くとも15時起床…の予定が、起きたら20時だった。

とりあえず出がけにもう一度風呂。食パン補給、と思ったらこの時間帯は食べられなかったので、しぶしぶ出発。寝ている間に雨は止んでいた。

幸い降水量も少なかったようで、路面は濡れていなかった。

バカ寒かった。息が白い。ブルブルしながらチャリとキャリアを組み立て、と思ったらキャリアの取り付け用ゴムシートが千切れていた。かなり薄いものだったので仕方ない。なにか代用できるものはないかとツール缶を漁ったところ、こんなものがあった。

これは帰宅後取り外したら千切れていた、の図

なにこれ、って感じだけど、これはシリコン製のまあ、バンドみたいなもの。

ツール缶に一本常備している。ちょっとした物をハンドル周りやシートステー、シートポストなどさまざまなところに取り付けられる。簡易的に携帯を取り付けてナビにしたり、ライトがわりにしたり、市販の懐中電灯をハンドルに取り付けたり、モバイルバッテリーをハンドルに固定したり…なんでもできる。

自転車屋でも売ってるけど、amazonなら5本で100円しないのですごくおすすめ。5色展開。

んで、組み立て後は食料調達のためとりあえず近くの西友へ。

旅行に行くと必ずスーパーに寄るのです。カロリーメイトと、せっかく長野に来たのでネギ味噌と野沢菜のおにぎりを購入。値引きで56円と良心価格。で、栄養補給におやきをふたつ購入。食べ切らなければ土産になる。その場合賞味期限は切れるが、まあ気にしない。

あとはお惣菜の餃子が安くなっていたので、計1410円。

一気に餃子をかきこみ、18号を北上。

長野市のあたりで、18号の酷さがかなり増してきた。路面バリバリ。

で、長野市に入る境界を待っていたかのように、街路樹や車の屋根が雪を被り始めた。

わざわざ雨が止むのを待っていたのに、雪がちらちらしてきた。降ったり止んだり。

んで、路面が濡れてきた。普段なら路面が濡れてれば雨が降っていなくても絶対ロードには乗らないが、そんなことを言っていると一生脱出できず長野県民になってしまうかもしれない。

あと、スポーツ羊羹が硬い、握力限界を明らかに超えて、どうやったら出てくるんだっていうくらい硬い。補給できるカロリーより搾り出すのに使うカロリーの方が多そう。渾身の力で握ったら袋が裂けた。

冬にロードの大会がないのはスポーツ羊羹が硬すぎて食べられないからではなかろうか。

イライラしながらもう冬にスポーツ羊羹を食べるのはやめようと思った。

すでに時刻は23時半過ぎ。

いくつか信州ラーメン?の店とかもあったが、もう少し走れる、と我慢。

が、

 

3/3(金)

 

0時をすぎたあたりで急に店がなくなってしまったので慌てて見えたすき家に入った。なお、この先松屋が一つあっただけで飲食店不毛地帯に入ったので、ここで食べておいて良かった。でもどうせ食べるなら信州ラーメンが良かった。

牛丼特盛730円を摂取。あたたかいお茶も摂取。ラーメンほど体は温まらなかったが、お茶があったのでまあよい。ここで寒さからインナーの上にさらにロンTをON。

 

戸狩野沢温泉に向かうため18号を外れて117号へ。

車が少なくなって周りが真っ暗になってきた。後ろ荷重なのに、リアタイヤはiRCなのに、上り勾配で一瞬空転した。道が凍りかけていた。気をつけよう、と思って1分もしないうちに、リアが滑って転倒。それまで全く気づかなかったが、路面がスケート場並みにツルツルになっていた。おかげで転んでも擦り傷ひとつなく、荷台のリュックがクッションになって自転車もダメージなし。しかし立て直しても1メートルしないうちにまた転倒。どんなに低速でも、二輪走行できなくなってしまった。

仕方ないので歩くことにした。さすがに補助輪は持ってきていない。たくさん人が滑って氷が削れたスケート場なんかより、よほど滑る。

真っ暗な山奥、車も3分に一台くらいしか通らないのでクマが出ないか心配になる程。いやほんの電池節約のためにも、携帯のスピーカーで直接音楽を聴きながら歩いた。相変わらず周辺には民家の一つもない。

歩き続けて、自転車は雪まみれ。

もう雪まみれや

しかしビンディングシューズの素材とシューズカバーのなせる業か、ふつうこんな雪の中を歩けば足がびちゃびちゃになるところ、全く問題なし。さすがは天下のパールイズミさんだ。

こうやって写真を撮ろうと携帯を取り出すと必然的に立ち止まることになるのだが、1分も止まらないうちにタイヤが回らなくなった。慌てて手でホイールを回せば再び回り出す。しかし次に止まった時には自転車をガンガン叩きつけなければ回らなくなっていた。

そうなるとひとときも止まることは許されない。日が昇るまで、止まることなく歩き続けねばならない。

雪が雪なら道も道で、飯山市に入ると同時に本来は広いはずの田舎の歩道が完全に雪に埋もれはじめた。仕方なしに車道を歩く。

ウソみたいだろ、縁石なんだぜ、これ。

100mに一度ほど、思い出したようにアスファルトが顔をだす。それはマンホールの周りだったり、排水溝の周りだったり、交差点だったり。その度にお約束のように滑るので、道端に黒い部分を見つけると両足、ハンドルに力を込めてへっぴり腰になって歩いた。

とうの昔にクリートカバーをつけているのだが、それでもなお、小学校の授業参観で私がかました渾身のギャグと同程度には足が滑った。

タイヤが回らなくなることおよそ10回、5:30ちょうどに飯山の市街にたどり着いた。この間人間を見たのは1人だけであった。新聞の集配所の人がウロウロしていただけ。市街地に入り犬の散歩をしているオジサンを見かけて安堵のため息をついた。

市街に入ってすぐのコンビニはスルーし(アホ)、しかし駅前の大型スーパーはまだ空いておらず、もうちょっと駅前に来てなにか食べようと思ったら、駅前には店の一軒もなかった。小綺麗な駅構内だけが明るく道を照らし、まだ昇らない太陽が山の向こうから空を照らす。

ここから飯山駅までは歩いても二時間かからないくらいだから、その間に店を探そうと再び歩き出した。駅前や続く観光通りは除雪が済んでいて、およそ5時間ぶりにサドルに跨った。

それも束の間、再び117号にでると、歩道こそ歩けるものの道は凍りついていた。

6:15ごろ、とうとうタイヤが凍りついて完全に動かなくなった。

ホイールを取り外すことすらできず、ブレーキに詰まった氷を砕こうと携帯工具でひたすら殴り続けたがびくともしない。周囲はすっかり明るくなってきたから、もう日の出だろうと思ったのだが、盆地ゆえいくら待っても山から太陽が顔を出さず、直射日光を拝ませてはくれない。

夜明け前が一番気温が低い、というアレか、放射冷却現象か、あるいは単に立ち止まったからか、どんどん体感温度が低下し、体が芯からブルブルと震え出した。

40分ほど氷を叩き続けて、すっかり日が昇ったころにようやくタイヤが回り始め、再び歩道を歩き始めた。

5kmほど歩き、道が幹線道路から住宅街の道路へと姿を変え始めた頃、通り過ぎる車の一台が路肩で止まり、旅行者らしい女性が声をかけてきた。憔悴しきった顔で自転車を押していたから、怪我をしたのかと心配したのだろう。ありがたい限りである。

幸いにもこちらは無傷であるあからその旨を伝えようとしたのだが、寒さと疲労から舌が回らず、

「あ〜いyみてぃが凍ったってるからあゆいてゆだけでで、怪我とかではぜんえんnいです、わざわざ心配しさってあいやとうございす」と、却って心配させてしまった。

ようやく路面の氷が溶けてきたため、キックバイクに乗った幼児よろしく、歩くほどの速さでサドルに跨り、AM8:36戸狩野沢温泉駅に到着。

Q:チェーンやスプロケに白いものがついていますが、大丈夫ですか。
A:降雪量の多い地域を走行すると、自転車に雪が付着することがあります。召し上がっても害はありませんが、走行性能は劣ります。

自販機が130円を缶でコーンスープした。駅をでてすぐに左折し、スキー場手前で写真を撮り、きた道と並行に走る408号を折り返した。路面はすっかり溶け、雪解け水で濡れてはいるものの、通常走行ができるようになっていた。ただし建物の影には雪や氷が残っており、減速を強いられる。まだビンディングをはめる勇気はない。

このころ、靴の中が濡れていることに気がついた。濡れていると言うより、グッチョグチョである。ビンディングシューズとシューズカバーが浸水を防いでいたはずでは?と思ったが、どうやら足の感覚がなく浸水に気づいていなかったようだった。

周辺の飲食店は営業前で、知ってはいたがコンビニの一件もないため早々に新潟へ抜けることにした。

店がほとんどないのは、一年前にスキーで訪れた際に確認済みである。

北飯山の周辺まで戻り、292号を登り始める。

なぜ飯山で曲がらずに野沢温泉まで来たの?という話だが、2週間後にjiziの友達とのスキー旅行でここを訪れるため、「早く着き過ぎてしまった〜(棒)」をしたい、だけ。

自己顕示欲に囚われた、哀れな現代人である。そんなに顕示欲強いのになぜTwitterやらないのか

県境の山地越え、と身構えていたものの道は緩やかで、路面も乾き始めていた。およそ半日ぶりにクリートカバーを外し足を固定。

地面から湯気が立ち上り薄い霧となって、山肌を縫う道に沿って伴走者のように流れ始めた。

欠伸が出るほどゆっくりとペダルを回す私を、器用に道に沿いながら僅かに速く追い抜いていく。ほんの1kphペースを上げる余裕すらなかった。

 

天然のヒルクライムレースも県境とともに終わり、トンネルを抜けると雪国は終わっていた。

下り道はごくたまに濡れた路面を見せたが、すんなりと上越市街へと通してくれた。

 

午前12時、その辺のラーメン屋でブランチと洒落込む。手袋を外したところ、指先が痺れて感覚がないことに気づいた。この痺れは旅行後3週間ほど続いた。

「具のチャーシュー」「えっ?」

水曜は普通のラーメンが450円とかいう有能。水曜じゃないので適当に看板メニューっぽいラーメンを頼んだら、タンメンの間から蟹の足が生えていた。

ちょっと贅沢に追加で餃子を頼み、1250円。

>>今回は現地で美味しいものも食べないし、お土産も買いません。

うるせぇ

 

曇りからかやや風が強かったからか、上越平野は思いの外寒かった。上越平野ってあまり聞かないなと思ったら頸木平野、高田平野という別名があるらしい。友達のフリー百科事典君が教えてくれた。

 

無心で平地を巡航し、PM2:30、目的地の直江津港に到着。海の向こうはよく晴れていたが、直江津上空は雲に覆われ始めていた。

対岸ではЯпонское мореと言うそうです

直江津港のフェリーターミナルに人気は少なく、立入禁止区域の境目がややわかりづらく不安だった。海ギリギリに出ることは許されず、つまらないので少し手前のコンビニで買ったコロッケを飲み込んで撤収。風が吹きつけてかなり寒いので、さっさと風呂に入ることにした。

近隣のサウナ付きの銭湯で2時間ほど粘り、普段着に着替える。ずぶ濡れの靴に嫌気がさし、コンビニのビニール袋に封印してスニーカーへと履き替えた。

ネカフェは滞在時間が短いほど安く済む。食料調達がてらイオンモールを訪れた。地方随一の大規模な店舗とあって、地方商店街がモールに潰されるというよくある話が思い起こされる。もうこれその辺の新宿とかより便利なんじゃないかな。

夕食とお土産の地ビール、地酒を調達。

パンコーナーで売っていた地元で食べられていると言うパン。今になって思えば夕飯がパン二つというのは少々寂しく、せっかくなんでも揃っていたのだからもう少し豪華にしても良かったと思う。

味はどちらも普通の牛乳パンだった。

「サンドパン…?それは白人が勝手に聞き間違えて読んだ名前」
「必要ない この脚のみで列島を横断して優勝する」

 

 

 

さて、ここからは事情により自転車を使わない旅となった。ただまあここで終わるというのも尻切れトンボなので、手短にその後について記していこう。

 

午後8時半過ぎ、上越市役所前の快活クラブに入店。本来なら鍵なしの個室ブースに入るところだが、翌日はほぼ電車移動なため、物は試しと飲み放題カフェ(ただの座席)を利用した。12時間で1000円ほどおトクである。長野の店舗がソファー席だったので期待したが、普通の椅子だった。クッションはふかふかだった。で、窓際だったので足元が冷える。ずっとコーンスープと味噌汁をリピート。さっさと寝れば良いものを、ついつい漫画を読み始めてしまった。あまりに寒いのでシャワーを浴びたが、タオルが使い放題ではなく、手持ちのタオルで一回入っただけだった。そのくせアイスは食べた。

 

 

3/4(土)

6:23か9:22直江津発の列車に乗る手筈。どうせ長岡で同じ列車に接続するので、寒さもあって朝6時になっても出発せず食パンを頬張っていた。

そして6時半ごろなんと寝落ち。目が覚めると8時半。2回目のシャワーを浴びる暇もなく、慌てて飛び出した。出がけにアイスを一杯食べようか迷ったが諦めた。8:41急いで退店。駅までは20分。前日の夜にめんどくさいながらもバッチリ下見をしていたので迷うことなく到着。実際はなぜか線路を跨いで駅の北口に向かっていたので、下見さえしなければむしろ早くついた可能性。やっぱり下見なんてしなきゃよかった。

駅前広場で、風に飛ばされる備品を押さえながら輪行準備をし、走ってホームへ。駆け込み乗車、いくない。

こんなこともあろうかと前日のうちに18きっぷは購入済み。やっぱり下見をしていて良かった。

乗車後30秒もしないうちに発車。休日だというのに電車の中は立ち客も多く、都会の路線と大差ないように感じた。ドア横に自転車を置いたものの、駅間の長い田舎路線、眺めもよくせっかくの先頭車両なので運転席の後ろに移動。こちらもスペースがあるため自転車が置きやすい。しかし、直後にブラインドを閉められてしまった。くさそうなオタクはお呼びでないらしい。

時速100kmで流れる山間には、ときおり雨粒が斜めの線を描いていた。

 

10時半前に長岡着。

エレベーターが混んでいたので一本待ち、隣のホームに移動したところ目の前で乗車予定の列車のドアが閉まってしまった。やってしまったと歯軋りしながら再びエレベーターを上り、一旦トイレに寄った後駅舎内の待合室へ。広さの割に人は少なく、別の列車を調べると10:34出発。急がねば、と立ち上がると時刻は10:34。諦めて次の列車を調べると3時間後だった。

ここで本来の旅程について説明しておこう。

長岡からは18きっぷでも新前橋経由で帰れば夕方には帰れるのだが、せっかくなので喜多方経由で帰宅する予定だった。磐越西線の山都-喜多方間は豪雨災害のため運休となっており、代替バスが運行されている。しかし距離は10kmほどしかなく、山都到着から喜多方出発まで2時間ほどあるため、ここを自転車で走破し喜多方ラーメンでも食べて帰ろうと思っていたのだが、計画が狂ってしまった。

諦めて次の列車まで長岡で時間を潰すことにした。新幹線駅なのに寂れたところだと思っていたが、それはどうやら駅構内だけだったようで、改札を出るとそこは巨大な駅ビルの中だった。

確かに入線時渡り線がやたらと多いなとは感じたがこれほどとは思わなかった。

 

自転車を担ぐのは大変なので、一度駅前で組み立てて押しながら歩くことにした。駅前商店街をぶらぶらし、目についたドラッグストアに入ってみたが、めぼしいものはなかった。

どうせ走行予定は無くなってしまったので海鮮丼でも食べながら地酒を飲むというのも乙だが、直江津ならともかく長岡って割と内陸だし海鮮なのか?と調べると、そばが有名であった。

蕎麦屋を探し歩くとすぐそばに酒屋。フラフラと吸い込まれ、地酒を購入。おばちゃんと雑談していたら、おまけで酒粕をくれた。

いったん近くに自転車を止め駅ビルの中の蕎麦屋に入店。

ちょっと高いがとろろへぎそば1400円をいただいた。へぎそばはざるそばと大して変わらないと聞いた気がするが気にしたら負けなので気にせず勝っておく。

この卵どうやって食べるのが正解だったんですかね?ロッキーみたいに飲めば良かったのかな

駅ビルのスーパーで友人に土産のあられを購入。今回の旅では自販機とラーメン屋のほかは全てSuica、QRコード決済、クレジットカードで支払いが済んだため、財布を小銭のタンバリンにすることもなかった。便利な世の中である。

駅ビルの中をうろうろしてみたが、こちらにも酒屋があり、日本酒バーが併設されており、とても心惹かれた。地酒の飲み比べができるようだったが、ちょっと高かったこと、時間が迫っていたことから飲酒は許されなかった。

再び自転車を輪行袋に封印し、こんどは新前橋へ。こんどはボックスシートでゆったりと座ることができた。快適でござる。車内には首都圏の車両と同様に液晶ディスプレイが搭載されており、都会だなと思った。

スノーだけど無加工

そりゃこんなに雪が積もってるんだもん中日本舐めててごめんなさい自転車如きで走れるわけないだろ頭悪いだろ

越後湯沢を通り過ぎ、ループ線があると有名な越後中里を楽しみにしていたのだが、ほとんどが地面の中であった。おい。

土合駅手前で検札。ホームが地中深く私のGPA程度に低いとのことで楽しみにしていたのだが、上り線は地上ホームだった。おいおい。

湯檜曽到着前に寝落ち。しかし次の終点水上ですぐに起こされ、今度は上越線に乗り換えると列車はすぐに駅を出た。楽しみにしていた駅前のSLを見ることはできなかった。おいおいおいおいなあなあなあなあ。

ロングシートの席が埋まる程度には混雑していたが、運良く端の席を確保するとそのまま就寝。

目を覚ますと終点の高崎だった。予定を変更し新前橋で両毛線に乗り換えて水戸を目指すはずだったので、乗り過ごしてしまったことになる。別に水戸に行くことに意味とかないのだが、せっかくの18きっぷなので太平洋も見とこうという試み。

高崎から折り返し、今度は空いている両毛線に乗ったものの、途中で遅延し始めた。日付が変わる前に帰宅できるか心配になったが、よく考えれば無理そうなら途中で折り返してくれば良いだけのこと。計17分の遅れはあったものの、終点小山での乗り換え時間が長かったため、なんとか次の水戸線に乗車できた。

両毛線の車中では、音楽を垂れ流す外人の兄ちゃんと、平気で通話し独り言を言いながら携帯でニュースを垂れ流すおっさんのダブルパンチに、内心は激おこぷんぷん丸だった。

午後9時、水戸駅に到着し、下車。本当は4駅先の大甕まで行かなければ太平洋は見えないのだが、どうしても足掻いても帰れなくなってしまう。大宮あたりで下車して漕いで帰れば良いのだが、流石にその元気はなかった。水戸駅での猶予はおよそ30分。沿岸までおよそ10km。やはり太平洋到達は諦めるしかなかった。

駅前ロータリーの2階部分というか、駅ビルとの連絡広場というか、とにかくそんなスペースをぶらぶらしておしまい。納豆の銅像があると聞いていたため、くさそうな東工大生としては是非見ておきたかったのだが、残念ながら仲間は見つけられなかった。

水戸駅には若者が多く、大学生らしき人間や中学生程度の少年少女まで、午後9時過ぎだというのに駅前はとても活気付いていた。

そういえば、と思い返してみると高崎や長岡も同様で、オジさんオバさんが少ないのだ。

実は地方都市は若者が多いのか、車社会だから免許を持たない若者が鉄道駅に集まるのか、土曜だから繁華街に集まってくるのか、土曜だから通勤のオジオバが少ないのか、地方の人は見た目が若いのか、私がロリコンで若者ばかり目につくのか…

気のせいかも、と思ったが改札を潜るとき近くにいた旅行者が「若い人が多いね〜」と喋るのが聞こえたので、思い違いではなさそう。もしくはアイツもロリコンだったか。

再びボックスシートに身を預け、次に目を開けると列車は日暮里に到着。

久しぶりに見た緑色の走る電子レンジに安堵しつつ、座って帰ろうと東京駅へ。

12時前だが意外にも我が国最大の駅は閑散としていて、飲食店や売店はとうに閉まっていた。改札内だったからだろうか。

このころになって初めて、「18きっぷは大都市近郊区間なら12時を過ぎても利用できる」というルールに気づいた。早くに知っていれば太平洋を拝めただろうか。いや、難しいだろう。しかし高崎まで寝過ごさなければ、つーか長岡で乗り換えミスってなければ。

かくして、地酒2本と地ビール2本、あられ、期限切れのおやきを携えて私は帰宅したのであった。

 

 

⌘18きっぷは、残りを使う暇がないので金券屋で売っぱらった。利用期間が始まってすぐだったから9割くらいの値段で売れた。