走った、跳んだ

遅めの夕飯を済ませ、九時をまわった頃パイヲニアへと一人足を運んだ。54期大林である。

ペース2、レース1のみである。

人気のない新川崎の駅前には時折列車の音が響き、早くも秋の訪れを感じさせる心地よい気温であった。貨物列車はとうに眠りについた頃だろうか、しかしどこからともなく今日の仕事を終えんとする重厚な機関車の、その存在感に似合わない甲高い汽笛の音が聴こえた。スピードに乗ると少しばかり風を感じた。

ペース走も終わろうかという頃、少しばかり疲労を感じて頭を垂れ、物思いに耽りながら35キロ米ほどで巡航をしていたそのとき、ばしん、という渇いた音とともに体が、自転車が衝撃を受けた。橙色の柔いポールにぶつかったのだと気づいた時には我が愛車は次々と新たなポールを薙ぎ倒し、そのうちの一本がジャンプ台のようにしなるとその上を二つのホヰールが駆け抜け、私は数尺ばかり空を舞った。南無三。

驚く心臓を押さえつけ、再び私は速度を上げた。下ハンでのダンシングはノリが良く、流れる街路樹を後にさらに速度を上げようとブラケットスプリントを試みたが引き換えと言わんばかりにこちらはノリが悪く、私はヱアコンの使い過ぎに依る体の重さを言い訳にするほかなかった。

ポールが金物であったら、そうでなくとも僅かに左右にずれ、ハンドルと触れていたなら、今頃はボロ切れのようになった練習着に身を包み、壊れた自転車を押して夜の多摩川を渡っていたことだろう。ましてやあれが人間であれば、只では済まなかったはずである。自身が操る乗り物の危うさを再度胸に刻み込み、私は駅を後にした。どこかでまた、乾いた汽笛が聴こえた。

 

 

⌘余談ではあるがAmazonによれば、橙色のポールはそれのみであらば、おおよそかの野口英世大先生一人分ほどの値である。