6月3日(日) 全日本学生個人ロードタイムトライアル@利根川 近藤健太郎(50期)

個人TT 31.2 km
目標:最低Ave 35 km/hキープ,行けそうならもっと
結果:53/55位 (56:34 33.09 km/h,学連記録)
今回の失敗を一言で表すなら,“準備不足”.
<〜前日>
テスト期間まる被りなのもあり,直前一週間はほとんど乗らず(乗れず).初めて使うDHバーのためにポジションを簡単に決めた.サドル位置はあまり変えずに臨むつもりだった.(←失敗その1)
それから,初めてカーボンローディングを試した.米好きの自分にとって初めのころはなかなか苦痛だった.
<前日〜当日朝>
前日は大学へ行き,軽く洗車や明日の準備をして帰宅.いろいろ買い物とかしてたら帰るのが遅くなり,これが結果として寝る時間の遅延に繋がった.(←失敗その2)結局23時寝の4時半起きと,5時間半しか寝られなかった.
8:15からゼッケン配布だったので,その少し前に行こうと考えていた.(←失敗その3)結果として河川沿いに入る方法がわからず手間取り,20分ごろについた.急いで受付をして,準備を始めた.
<アップ(←失敗その4,最大級)>
結論から言うと,全くアップはできなかった.普段のレースは,駐車場=ピットみたいな感じで,レースに行くときも戻ってくるときも駐車場が起点であるのに対し,今回は駐車場とピットがかなり離れていた.河川敷なのもあり砂利道が多く移動にとても時間がかかった.その上自分に至ってはボトル用の水分を買い忘れる始末で,買いに行ったりで無駄なタイムロス.着替えやゼッケン張りはいつも通りかむしろいつもよりもスムーズなくらいだったが,結局準備が完了して検車に行ったのは出番の数分前だった.当然アップはできず.不安いっぱいのスタートライン.
<レース>
0〜5 km 8:00 Ave 37.5km/h,193bpm,101rpm Max 41.5km/h,196bpm,117rpm
前年のリザルトを参考にして,Ave35を目安にしようと決めてスタート.走っている感覚と折り返してくる選手の様子から往路が追い風,復路が向かい風だとわかる.強風でないにしろ,追い風である程度稼いでおきたかったので脚を削りすぎない程度に走った.割と楽だったので行けそうかなと38くらいで巡行.この区間は悪く無かった.心拍は高かったが息が上がっているというよりは緊張感故のものだった.ちなみに僕の直後にスタートした選手(スタート前に堀口がこいつはやばいと言っていた選手)には開始2.5キロで抜かれた.彼は昇格しました.
5〜10 km 8:15 Ave 36.3km/h,191bpm,98rpm Max 38.8km/h,194bpm,105rpm
普通に巡行.7キロ辺りで右脚に攣りの兆候が出始める.いくら何でも早すぎた.アップ不足を悔やんだがどうしようもないのでそのまま走る.10キロ辺りではじわじわヤバくなってきていた.
10〜15 km 8:16 Ave 36.0km/h,188bpm,93rpm Max 39.5km/h,193bpm,100rpm
痛みをごまかしながら巡行.速度自体はそこまで落ちていないので大丈夫かと思っていたが徐々に攣りがひどくなる.左でちょっとかばいながら巡行.それでもここまでのアベレージはまだ37に近かったので気持ちは切れていなかった.15キロの段階で8割がた攣っていたがたまに脚を伸ばしながらなんとかごまかした.
15〜20 km 8:52 Ave 33.9km/h,192bpm,90rpm Max 38.9km/h,196bpm,104rpm
Uターン時の立ち上がりで死にそうになるも,何とかこらえて復路開始.風向きが変わったがそもそも風がそんなに強くなかったのでそこまできつくない.脚が痛いのでどんどん速度は落ちるがこのペースならAve36前後で行けそうと思っていた.ただ世の中そんなに物事うまくはいかないもので,左脚につけが回ってきて,両足攣りかけ状態になった.それでもなんとかかんとかごまかしながら走ったが,19.8キロのときに完全に右脚が攣った.ここで一度完全に脚が止まり,速度は17キロまで落ちた.その間ストレッチをして,そこからは無理やり気合で回し始めた.これめっちゃ痛い.
20〜25 km 8:59 Ave 33.3km/h,189bpm,83rpm Max 36.8km/h,194bpm,96rpm
右脚はすでに死んで,左も攣りかけなので通常のペダリングができず,バイクを軽く左右に振りながら座ったままダンシングしてるみたいな形になっていた.攣っててもそこそこ走れるし最悪の現状においてはベストな感じだった.この後も基本このスタイルで走り切ったのだが,これのせいで後に死に目に会った.無理やりぶん回していた右脚が徐々に回復(?)してきて,左脚もほとんど悪化していなかったので,この区間の後半では36くらいで走れるまでには戻った.ちなみにこの時のトータルAveは35.7とかだった.
25〜30 km 11:26 Ave 26.2km/h,180bpm,81rpm Max 39.2km/h,200bpm,98rpm
頭を完全に切り替えて35↑でゴールすることだけを考え始めた.このままならなんとか行けそうと思っていた27.4キロ地点で,何の前触れもなく左脚が100%で攣った.確かに攣りかけではあったが,一気に来るのは想定外だった.またここで完全に脚が止まり速度低下.今回は気合で無理やりまわせるようなレベルの痛みではなかったので,ストレッチしながら膝が曲がる直前の半回転を繰り返しながら進んだ.幸い道は広く,左に依っていれば後続の邪魔にはならないので,立哨の人に大丈夫ですか?とか言われながらも進んだ.この時の速度なんて見てる余裕なかったけど,ガーミン見返したら時速6キロだったらしい.あたりまえだけどAveはどんどん下がる.このあたりでさすがに心が折れた.らちが明かない,というかもはや何でもいいやみたいになって左のビンディング外して右だけで回した.右が再発しない程度に回したら28くらいは出たのでなんだかんだ正解だったのかな.1キロくらいそれで進んで左がある程度ましになったのでまたちゃんと走り出したのがちょうど30キロ地点くらい.
30〜31.2 km 2:39 Ave 33.3km/h,194bpm,79rpm Max 44.1km/h,200bpm,97rpm
最後の意地(というかもう投げやり)でのこり500mくらいからスプリント.すぐに右がまた攣ってグダグダになりながら終わり.
Total 56:30 Ave 33.1km/h(ガーミン記録)
もう悔しいというか情けないというか残念極まりない.ここだけの話他のクリテとかならDNFになろうが面の皮厚く生きてきたけど今回のTTに関してはだいぶメンタルに来た.TTでDNFとか冗談じゃねえという精神で走り切っただけで,それに付随するものは何もなかった.リザルトを見ると去年とは同じレースとは思えないくらい全体のタイムが速いので,35を超えようが否だろうが順位的に大した変動はないけどそういう問題じゃない.一年生も多く参加している大会でワースト3というのがもうダメ.まともに走れてたら,とか考え始めるともっとダメ.まともも何も結果が全てで,攣らないように走ったとしても大差ないんだろうと思う.堀口にも言われたが,攣るペースってことは結局オーバーペースだったってことだろう.
走り終わった後,れいの座ったままダンシング的な走りのせいで,内ももの筋肉が馬鹿みたいに痛くなっており,攣りと相まって冗談抜きで立てずにしばらく地べたに座っていた.これを書いてる今でも,歩けるようにはなった,という程度.
<反省>
まず,攣った攣ったというがなんでそうなったのかを考えたとき,候補が多すぎた.①睡眠不足か②アップ不足か③水分不足か.結局のところ,これらは全て準備に問題があった.睡眠なんて,出発時刻考えればわかるだろうに,そのあたりを逆算して考えるのを怠っていた.基本中の基本なのにね.アップについても同じ.これも堀口に言われるまで気づかなかったけど,そもそも「8:15から受付だからそのちょっと前に」って冷静に考えて頭おかしいのでは.不測の事態やそれこそ買い出しの買い忘れとかがあるかもしれないのに,対応できないじゃんという.実際そうなったし.確かにピットに行くまで時間がかかるとかはコミュニケからはわからなかったけど,物事には余裕をもって望むというのは世間の常識だということ.水分についてはまだ議論の余地があるが,それでも喉カラッカラになるまで補給してないのに気づかないとかダメでしょという話.
もう一つ攣りの原因とも関係あるかもしれないのが,ポジション.玉置や堀口にさんざん言われてたにもかかわらずDHバーをそれなり程度に調整しただけだったのは本当によろしくなかった.まず,サドルがダメ.SMPにTTは無理.まだSCOTTのやつのほうが良かった.ハンドルも結局下げずに臨んだが,もっと下げられた.攣ったのも,普段ほとんどやらないTTポジションのせいかもしれないとすると,なおさらしっかりポジション出しをしなきゃいけなかった.後悔先に立たず.
ちなみにカーボンローディングはうまくいったみたい.それだけに余計腹立たしい.その心は,大腿四頭筋が全くと言っていいほど疲れてないから.よみらん1本分の疲労もない.だからこそ最後にスプリントなんてする元気が残ってたわけだけど.グリコーゲン使う前に攣ってそれどころじゃなくなり,普段ほとんど使わないような内ももの筋肉ばっか使ってたと.言ってしまえばこのローディングは無駄だったわけだ.むしろ,思い返してみれば糖質取るためにミネラル分がおろそかになってたせいで攣りやすかったんじゃないか,とかレース前に水分取ってたつもりだったけどその多くがグリコーゲンに取られてたんじゃないの,とかまで考えてしまう.
総じて,肉体的にも精神的にも,疲労よりも痛みの多いレースだった.
ただまあ良く言えば得るものはそれなりにあった.もう二度と準備不足にならないよう心掛ける.来年また出られるかはわからない(というか出られない確率のほうが高そう)だけど,もしも出場できたなら是非リベンジしたい.
最後に,吉田シャマル貸してくれてありがとう.全く脚が動いていなくてベアリングに頼りっきりの時間が長かったので,シャマルは役に立ちました.
近藤健太郎(50期)